世界史小ネタ帳

本から拾ってきたことをやたらめったらメモします

ステンドグラスはいつから使われるようになったか

 ヨーロッパの教会を訪れた際、まず目を惹くのはステンドグラスでしょう。

 聖書の物語などを描いたステンドグラスは、中世には、文字の読めない民衆に聖書の内容を教える役割も果たしていました。ですので、現代のわれわれ日本人が見ても、”よくわからないけどすごい”ことは伝わってきますし、聖書の内容を少し知っていると、あの全裸の男女はアダムとイブに違いない!など更なる楽しみ方ができます。

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※写真はシャルトル大聖堂のもの。美しい青色がシャルトル・ブルーとして有名。

  

 ところでステンドグラスは、12世紀頃、ゴシック様式(教会建築の様式)の出現とともに普及しました。それまでの建築様式はロマネスク様式といい、厚い壁に小さな窓を特徴とするもので、装飾といえば扉の上や柱に施された彫刻が主でした。しかし建築技術の進歩により、高い天井と大きな窓を取り入れたゴシック様式が可能になります。そして、その窓を飾るためのステンドグラスが広まった・・・

 

 と、いうのが教科書などの書き方なのですが、どうやらステンドグラスは1世紀頃あるいは紀元前からあったようです。そういえば日本史でもイランの方からガラスが来た、みたいな記述がありました。これが西洋中心史観の罠…!(※当ブログは西洋および西洋史への愛をもって運営されております。

 

 さておき、初期のステンドグラスは、大理石や木などの枠に、小さく厚めのガラスをはめ込んでいたそうです。これはこれでお洒落な感じがしますね。

 また、ロマネスク様式の建築にも使われることはあったようで、ゴシック様式から~というのは、今われわれのイメージするステンドグラスが普及・発展したのがその頃から、と捉えるのがおそらく無難でしょう。

 

皇帝ネロの(わりとどうでもいい)エピソード

 ネロ帝といえば、暴君のイメージに加え、近年はゲーム等いろいろなところでモチーフになっていたりしますね。

 そんなネロ帝の、ちゃんとした説明・逸話はWikipediaにまかせ、ここではスエトニウスの『ローマ皇帝伝』(噂話なども含むため真偽は定かでない)より、個人的に気に入った話を放り投げたいと思います。

  

 死刑を宣告されていたある罪人の刑執行について、慣例により承諾の署名を求められたとき、ネロは「字を知らなければいいのに」と言った。

人気取りに執着していた(あるいは実際に人気があった)ネロらしい、あざとさの感じられるよいエピソードです。

 

この最大祭の期間に、毎日ネロは、ありとあらゆる種類の土産券を国民にばらまいた。日々あらゆる種類の鳥が千羽ずつ、幾種類もの食品、穀物の無料購入切符、着物、金、銀、宝石、真珠、絵画、奴隷、家畜、飼いならした野獣まで、ついには船舶、共同住宅、畠地もあった。

これは記録に残る類の話なので、本当にやったのでは…?とも思われます。ネロ祭を開催している某ソシャゲもこれくらいの大盤振る舞いをしてくれるといいですね。

 

 まずナポリで舞台に姿を現わした。そのとき突然地震がおこり、劇場が揺らいでいたのに、ネロはうたい始めた曲を終えるまで止めなかった。

とにかく歌いたがることに定評のあるネロですので、歌唱系エピソードはかなり充実しています。 

屈強な若者を五千人以上も、各地から選り抜き、彼らを組に分けて、いろいろの拍手の仕方―<中略>―を学ばせ、そしてネロがうたっている最中、応援させた。

今でいうコールかもしれません。ちなみにいろいろな拍手というのは、蜂やレンガに例えられていて、①パチパチパチ…と素早く叩く、②両手で空洞をつくり低く響くように叩く、③大きな音で強く叩く、といったところかと思われます。皆様も盛り上げが要求されるカラオケの際など、ネロ技を使ってみてはいかがでしょうか。

ネロがうたっている最中は、必要な用ができても、劇場から外へ出ることが許されなかった。<中略> ある婦人は客席にいたまま出産したというし、<中略> こっそり塀壁から飛びおり、あるいは死んだふりをして棺架で場外へ運び出された人も大勢いたという。

この後も結構な頻度で歌に関する話が出てくる辺り、よっぽどだったんだな…と推察されます。

  

国外旅行をネロは生涯で二度計画した。<中略> しかしアレクサンドリアは、出発の当日に断念してしまった。<中略> というのも、神殿に挨拶廻りをしていて、ウェスタの神殿にぬかずき、いざ立ち上がろうとしたとたん、まず着物の裾がからまり、次いで何も見えなくなったほど烈しい立ちくらみに襲われた。

立ちくらみで断念するのが何ともありそうというか、人間くさくて好きです。

 

「ネロにふさわしくない、まったくネロらしくないぞ。こんな時こそ、しっかりとしなくては」

ネロの最期は、反乱の末の自決でした。その際なかなか決心がつかず、もたもたしている描写が出てきます。上の言葉を実際に言ったかは不明ですが、あっこいつ武人ではないなと思わせる潔くなさが好きです。

 

ルソーの性癖のはなし

ルソーといえば、『社会契約論』の著者、18世紀最大の思想家(の一人)、むすんでひらいての作曲者、など名前を聞いたことのある方も多いでしょう。そんなルソーですが、他にその性癖でも有名ですね。

 

 

10~12歳のころ 寄宿先の牧師の妹から受けた尻打ちの体罰に、目覚める

 

16歳 徒弟奉公時代、遊びに行った夜に、町の城門の締まる時間に間にあわず、   

   翌朝親方の家に戻らないまま出奔。この支配からの卒業。

   この後、職を転々としている間に、自慰を覚える。

 

16歳 仕事先でリボンを盗み、その罪を好意を抱いていた少女になすりつける

17歳 上の事件で解雇され、鬱屈した欲望を抱き、街中で露出狂になる

  

20歳 ヴァランス夫人(13歳年上)の愛人になる

   ※ルソーがヴァランス夫人に初めて出会ったのは15歳のとき。

     お互い「坊や」「ママン」と呼び合う仲。

26歳 旅から戻ると、夫人には新しい愛人ができており、冷たく迎えられる

 

34歳 パリで、テレーズ・ルヴァスール(後の妻)と出会う。

   5人の子供をもうけるが、全員孤児院へ送る。

 

42歳 パリからジュネーヴに戻り、ヴァランス夫人と再会するが、

   零落した夫人を助けることができず、激しく後悔する。

 

45歳 小説『ジュリー』の執筆中、ドゥードト夫人(当時26歳)に出会う。

   夫人と女主人公を重ね、”全生涯で最初にして唯一の恋”をする。

 

 

この後も、激しい被害妄想を患ったりいろいろあるルソーですが、以上の話の大部分を自伝の『告白』で暴露している辺りも、性癖なんではなかろうかと勘繰ってしまう次第です。

 

※参考図書は、永見文雄さんの『ジャン=ジャック・ルソー 自己充足の哲学』(2012年、勁草書房)など